本ブログのSSL化に関する報告

resize47993.jpg

平素より、当ブログをご愛読頂きありがとうございます。
この度、本ブログがSSL化となりました旨、ご報告させて頂きます。これによりブログがhttpからhttpsに変更となります。現在は様子見での運用となりますが、昨今のインターネット状況を鑑みて必要と判断を致しました。読者の皆様には閲覧時の問題は発生しないと思われますが、此方の不手際がある際にはコメント欄にてご連絡をお願いいたします。

https://gamedaisukinahito.blog.fc2.com/


本日より上記のURLが『午後のPCゲーム』となります。
以上、引き続きご愛読のほど宜しくお願いいたします。

2018年2月20日 午後のPCゲーム管理人"ばりー”

謹賀新年

resize44239.jpg

あけましておめでとう御座います。
旧年中は格別の御厚誼を賜りまして有難う御座いました。本年も午後のPCゲームを宜しくお願い申し上げます。
昨年は卓球を再開したこともあり健康な一年でした。本年はゲーム以外の競技にも挑戦していき、それをブログ内で報告できる一年にしたいと思っております。

平成30年1月1日 管理人"ばりー"

雑記

resize54820.jpg

紅莉栖「ある名門貴族に仕えた執事の物語"日の名残り”の書評です。」

英国・貴族ダーリントン卿に仕えた執事スティーブンスは、自分の人生について考え始めていた。名誉ある屋敷を購入した新たな主人は米国人であり、先の主人とは異なる思想で人生を謳歌していた。これまで仕事一筋、真面目過ぎる人生を歩んできたスティーブンスは、新主人ファラディのユーモアたっぷりの言葉遊びやジョークに困惑しつつも、人手不足に陥った屋敷ダーリントンホールを立て直そうとしていた。名門貴族亡き後、アメリカ人が金にモノを言わせて屋敷と歴史を購入した事がスタッフの反感を買い、次々と辞めていってしまったからだ。しかし、お気楽で人格者なファラディは出来る事だけを要求しているに過ぎない。ある日、かつて屋敷に勤めていた女性スタッフから手紙が届くと、それがファラディの耳に入り、ついにスティーブンスは短い旅に出ることになる。かつて恋心を抱いたミス・ケントンに合うために、主人は愛車フォードを気前よく貸し出してくれた。
栄華を極めた1920~1930年代のお屋敷での仕事、前主人に尽くした時間、スタッフとの問題、そして2つの世界大戦に揺れた情勢、名門の没落・・・生真面目な名執事は似合わぬアメ車のハンドルを握ると、美しい英国の眺めながらも目的地へと向かう。そして旅の終わりに自身の人生に結論を出す。

・・・

2017年にノーベル文学賞を受賞したKazuo Ishiguroの代表作『日の名残り(原題:The Remains of the Day)』は、美しい英国風景と共に、ある執事の人生観が描かれている。同作品は世界的に権威のある文学賞の一つであるブッカー賞を受賞している。日本メディアでも騒がれたカズオ・イシグロ氏であるが、実際に本書を読み込むと、英国人が書いた英国のための内容だという事が直ぐに解る。この作品は2つの時代を交互に織り交ぜることで、主人公スティーブンスの一人称視点に『強い思い込み』があることを読者に印象付けている。一つ目の時代は大英帝国が絶頂期にあった1920~30年代で、この部分での回想は、英国と貴族ダーリントン卿、そして自分の人生も栄華を極めていることが解る。対する現在1956年は、英国と貴族が没落し、新たな大国家であるアメリカの支配が始まっている。
回想部分では、前主人が非常に人格者であり、誰からも慕われる英国貴族であることが容易に想像できる。それを誇りとするスティーブンスも主人の行っている事こそが正義であり、疑いようもない命令だと信じている。作中では、ダーリントン卿は古典的な保守主義の英国人であり、確かに尊敬を一身に集めそうな人物であると予想される。しかし、WW1終結後の会議で、彼は敗戦国ドイツに対する融和政策を持ち始め、それが原因で破滅することになる。スティーブンスも主人がナチスの関係を持ち始めている事を十分に理解をしているのだが、それに対する嫌悪や反対意見は出てこない。スティーブンスは主人に大変に信頼をされていることが解る。だから彼は主人の過ちに対して意見することが出来る立場にあった。でも出来なかった、彼は自身の性格が仕事だけで構成されているので、仕事上における品格を重視しすぎた。主人に対して同じ意見をすることが、義務であり、品格であり、スティーブンスだったのだ。それを彼は読者に対して、自分の行いは清廉潔白であり、主人もまた正義であったと説明をする。

・・・

現在1956年では、彼の主人はアメリカ人であり、アメ車に乗って英国を旅する事となる。この物語のキーワードは"英国と米国"の関係がある。大戦終了後のお屋敷会議に訪問してくる米国人の発言が、的を得ている。米国人ルーイスはドイツ融和政策委を訴える名門貴族に対しハッキリと反対意見を述べる。素人(貴族)が国際情勢に口を出すな、と。これに対しダーリントン卿は理想論で会場の支持を得る。これはアメリカがイギリスに代って世界支配を強める前段階の縮図のようだ。事実、イギリスはWW1以降、世界情勢に対して強い立場を示せなくなっていた。ただひたすらに現実論を振るうルーイスは、スティーブンスの一人称からすれば敵対者に見えたのかもしれないが、結局はアメリカが勝った。こういった小さな矛盾を情景的に描くのが大変に巧みな小説で、思い出の誤差は終盤になって人生の反省として表面化している点も見事だ。さらに人間関係の機微も絶妙で・・・これは物語の核心に迫る女性との関係に関する事なので、私の方からは語らない方が良さそうだ。ただ、仕事だけしか頭にないスティーブンスは、有能だけれど間抜けなキャラクターであり、作品自体はシリアス一辺倒にはなっていない。例えば、新主人ファラディは、兎に角ジョーク好きで、しかも質が高い。ジョークを理解できないスティーブンスは、ジョークを熱心に勉強をして会得をしようと画策をする。立ち寄った村や出会った人物に、ジョークを披露し無視されるシーンは何とも切なく滑稽ながらも想像が出来る。そもそも本作は全てスティーブンスの思い込みが前提で話が進むため、中立的な横やりが無い。ツッコミ不在のノンストップである。

・・・

様々な事柄が複雑に連鎖しているが、小説は読みやすく親しみやすい。
田舎の英国風景は落ち目であることが解るが、それでも各人が持った立場で乗り切ろうとする。大局的な情勢に影響を与える事が出来ずとも、精一杯に世界を生き抜いている登場人物には敬意を払わずにはいられない。この物語は、失った時間を悔やむよりも先へ進むことでしか進歩しない様子が描かれている。問題は、それに気が付けるかどうかであり、そういった意味ではスティーブンスは幸運であったのかもしれない。
人生は仕事、という概念は職人気質であり大変に崇高な事だと思う。ただし、あまりにも視野が狭くなりすぎる危険が高い。幸いなことに私はスティーブンスほどワーカーホリックではないが、それでも忙しい月はある。それが続くと、自身が仕事に染まりそうになって余計な事を考えなくなる。誰もがそうだ、人種は関係ない。そう言った時に、是非とも小説を読むべきであろう。或いは、思い切って燃費クソ悪アメ車に乗って、仕事を忘れたドライブも良いかもしれない。
日の名残りは、過去に囚われていたとしてもなお前向きに進むことの大切さと、ジョークの有難さを教えてくれる作品である。

年末のお知らせ

resize54577.jpg

この時期になると毎回に同じような記事を掲載して申し訳なく思っているのだが、私の年末カレンダーは既に満室状態である。2016年の12月よりマシな状況とは言え、のほほんと過ごす妖怪と無能AIほど暇ではない。よって毎年のように12月の更新頻度は低くなります。いや、しかし2017年の年末~2018年2月までは、さほど殺人的な忙しさと言うわけではなさそう・・・と言いたいところだが、死亡フラグになりそうなので明言は避けるべきであろう。

・・・

今年のGame of the year記事は下書きさえしていない。つまり、現時点で白紙だ。筆が遅いため、ある程度の骨格位は作成しておくべきなのだろうが、それすらもしていない。正直、Hollow Knightを大賞に据えておけば問題ないようにさえ感じる。キャラクターは可愛いし、アクションも整っているし、最新作だし、読者のウケも良さそうだし。まぁ、そんなわけでぼちぼちと書き始めます。もし年内に掲載されなかったら、Hollow Knightが良いゲームだったという事にしておいてください。(2017年のGotyとは一言も言っていないよ!!)

resize54371.jpg

他の連絡事項として、取り留めのないゲーム小話をシリーズ化して約1年が経過したが、わりとウケ?が良く、書き手としては意外だった。来年以降は隔月掲載にする可能性もあるが、ひとまず1年間は掲載できたことは嬉しい。それと、掲載本数が激減しているビール関連だが、これは来年3月以降まで解決をしていきたい。
本年、紹介をしたゲームタイトルから印象に残ったタイトルを選ぶPlay of the yearもやや不透明。個人的には反社会的な内容で物議をかもしているBike rushを推したいところだが・・・ZUP!だのお魚エースコンバットだの、意味不明PCゲームも多く紹介をしているので混沌としている。

2017年もあと一ヶ月ですが、午後のPCゲームをよろしくお願いいたします。

午後のPCゲーム管理人"ばりー"

雑記

resize53108.jpg

アイオワ「One always has to keep in practice.That won't change anything・・・This is the last story!!」

卓球を始めて失ったもの/獲得したもの一覧。
失ったもの:時間である。休日の半日、もしくは一日を消費した。ひどい時には2日連続で休日を埋めた。そのため、これまでに休日中に消化していたこと、ブログに関係することで言えばビール関連の記事準備やカメラ弄りが全く出来なくなった。飲酒は月にビール2本まで低下し、もはや専門員:萃香さんが冬眠状態に入ったといってもいい。
得たもの:筋肉痛を得た。それと同じような境遇のKさんが友人になった。この方もかつては経験者(自称)だったが、同じ教室に通っており、ひょんなことから会話をするようになった。身形の清潔さや礼儀作法から、例えるのならマナー教室の先生オーラを出している。卓球はお世辞にも上手とは言えない、ようやくバックドライブを覚えたくらいだ。自由練習時間にボコボコのサンドバックにしている。Kさんは負け続けても、とても楽しそうに見えた。人柄は最高の聖人だが、この楽しさ一杯にプレーする卓球感覚は全く理解できなかった。

・・・

ここ最近、Kさんの撃ち放題サンドバック状態が変化してきたのを感じる。
とは言え、ドライブがそこそこ入るようになりました程度だ。手首を回したフェイク1つで、右へ左へKさんを走らせれば彼は得意のドライブを打つ事さえ出来ない。そもそも、ラケットに球が届いてすらいないのだから安心して勝負できる。おっと、球が浮いてしまった。これは私のミスだ、完璧試合だなんて狙ってはいないが、これは明らかに返球失敗。でも大丈夫。ブロックできるから。後ろに下がって守ることはしない。前で守れば、返球コースで相手を殺せる。安易な防御は、相手に連続したチャンスを与える事になる。それならば、前で攻撃的に防御してアドバンテージを自分にするのが定石だ。不安だった。あのフォームが目に入った時、反射的に容易くブロックできない気がした。初心者のドライブ1つ防げないわけじゃない。気が付いたとき、反射能力と運動神経が連動しない時間帯に入っていた。相手が何かを放つ動作をした直後に、打球が私の人差し指に直撃した。球が台上に落ちた瞬間に既に解っていた。ドライブじゃない、ナックルじゃねぇか。コイツ、初心者なのにナックルのドライブをしたのか?(一般的にナックル性質のドライブはフェイク・テクニックなので難しい)偶然?練習の成果?ドライブモーションに見せかけて、フェイクを入れてのナックルを?衝撃的すぎる上達速度である。人間、真剣に競技をすると、途端に上手になるのかもしれない。既に双方に笑顔は無い。あのKさんが笑わないなんて!!

・・・

たった6年。この短い期間で初心者から30数人の社会人卓球の序列1位になった。
最初から上手ではなかった。むしろ仲間内では最も下手で、振り一つにしても最悪クラスである。勝てなかった。勝たないと卓球台に入れないクソルールのため、下手は練習そのものが与えられない。酷過ぎる地元・社会人卓球練習会は、少し見まわしただけで人権の有無さえ感じ取れるほどだった。どれだけ練習をしたのかは覚えていないが、少なくとも練習は楽しくは無かった。そこに大人たちが良く使う綺麗な青春キャッチコピーは無く、ただルール上で認められている全ての行為を以て相手を倒せば、練習台に居座れる。誰も助けてはくれない。この競技は、ライバルと美しく戦った後に肩を組んで平和ライクな光景は望めない。協力は無い、チームプレーも無い、ミスは全て自分の責任、勝利は全て自分の実力、フェアプレーの精神を高らかに宣言できるのは、高い序列の選手だけ。フェイク、嘘、早い打球からのストップ、ナックル、訳のわからない回転・・・どれも最高に腹立つ行為だったので、自分も真似をした。そうやって30数人の頂点に立った。しかし、外は広い。300人いれば中、3千世界では勝負にならない。これだけ勝利に固執した私でさえ。
どうしてUは私に電話をして、卓球を再開するように促したのか。
私は故郷を離れて久しい。そういう者にわざわざ卓球を勧めるかね?そもそも私は一体何をしているのだろう。卓球で勝てなくても飯は食えるし、弱いから何なんだ。狂ったように闘争本能が剥き出しであった10代ならいざ知らず、大人の私がそういう感情を出して得が無い。私は利益にならないことが大嫌いだ。卓球を引退する!!電話を取り出し、かつてのライバルに連絡を入れた。

・・・

「来週?無理だね!!」
簡単な練習だよ。嘘じゃない、楽しく軽い卓球をしようじゃないか!!(嘘)
「来週は無理だから準備が整ったら此方から連絡するよ。年内には必ず連絡する。じゃあ」
Uは確実に勘付いた。私が十分に練習を積んでいることに。前回の試合結果から言っても、実力はそう離れてはいない。だから近いうちに試合をして打倒する計画が失敗をした。恐らく、Uはかなりの練習をして仕上げてくる。彼は約束は必ず守るから、年内に連絡はしてくるだろう。しかし、12月31日に試合をしようとか本気で言いかねない。まぁ、何でも良いか。兎にも角にも宣戦布告は済んだわけだし、向こうもその気だ。

卓球は引退をする予定だ。ただしUに勝ったら引退をする。負けたら勝つまで試合をし続ける。自分でも、この闘争精神状態が長く保てない気がする。勝つためのフェアプレーを思い出してはいたが、何分ブランクが長かったせいで平和主義者になっている。色んな嫌な事や汚らわしい事柄が少しづつ体積をしていったが、今日まで自信が持てたのは、人生の序盤で卓球に固執した経験が大きいのかもしれない。この1年で再び得たものが大きい。初心者だから勝てないのではない。Kさんも10代の私も、病的に勝敗に拘った。間違いなく笑い上戸のコーチもそういう人間だ。考えれば考える程に、人を選ぶ競技なのが卓球である。
拝読してくれて有難う。勝って辞めることことも目的に練習をしているよ。

関連事項
第一回:卓球を再開してみる
第二回:プロに教えてもらう
第三回:卓球道具を買いに行く
第四回:卓球の思い出
第五回:試合をしてみる


プロフィール

ばりー

Author:ばりー
PCゲームとビールを愛するおっさん
お気軽にコメントして下さい
なにかあれば返信します

カテゴリ
最新記事
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR