湾岸ミッドナイトMAXIMUM TUNE ORIGINAL SOUNDTRACK 10th Anniversary Box 感想

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湾岸MIDNIGHTは1990年~2008年に連載された漫画で、その独特なセリフや濃すぎるキャラクターなどで人気を博した。その世界観そのままにアーケード・レースゲームとして稼働したのが湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNEシリーズである。この作品内で使用される音楽は非常に人気があり、私も過去に販売されていたサウンドトラックを所有をしていた。しかし、MAXIMUM TUNE2のサントラは所有していても、それ以降のモノは持っておらず、忘れたままになっていた。仲の良いゲーム友達から、2015年に発売をした10th Anniversary Box の存在を知り、折角なので購入をした次第である。
このサントラで収容されているのは、MAXIMUM TUNE、MAXIMUM TUNE2、MAXIMUM TUNE3、MAXIMUM TUNE3DX+、MAXIMUM TUNE4、MAXIMUM TUNE5・・・106曲にも及ぶ壮大なボリュームである。現時点で同作品のサントラを聞くのであれば、余程の拘りが無い限りは10th Anniversary Boxを購入するのが最も手堅い手段だろう。

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CD6枚のボリュームも凄いが、各作品を担当したゲームプロデュサーのコメントやシリーズの音楽を手掛けた古代祐三による回想録などブックレットも厚い。このブックレットで知ったのが、製作人にはクルマ好きが多いという印象だった。宣伝用に盛った可能性もあるが、2代目プロデューサーを務めた小林景氏の所有した車数10台、うちターボ車7台という経歴は明らかに一般人のソレとは大きくかけ離れている。ブックレット内でも、この方の話は、同級生であった古代祐三にも及び、運にも恵まれているのを感じる。(しかも仲が良かったらしい)そのため、ブックレットそのものとしては、この2人のインタビューがゲーム製作人とゲーム音楽家の対比がハッキリとしており、個人的に楽しめた。

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ゲームの方向性が初代から変わらないため、シリーズ通じて安定した面白さがある。
しかし、ボリュームが桁違いに増えたMAXIMUM TUNE2がゲームとしても、音楽としても最高に盛り上がる。この作品に関してはOP~既に素晴らしい音楽が目白押しで、特に後半戦で流れる”Destination Blackout”はカッコ良い。MAXIMUM TUNE3DX+以降は触れる機会が無く全く知らない。しかし、それでも良い曲が多く、Maxi5は”Daystar” Maxi4の”Driving Energy”などテンポの良い曲や”Taillight”の一節である『Two hearts beat as one・・・I follow your taillight.』は原作漫画に出てきそうな英文である。
ゲームに引けを取らない音楽性、音楽に負けていないレースゲーム。同作品をプレイした事がある方なら、きっと気に入るサウンド集だと思う。

コラム:取り留めの無いゲーム小話(2018年6月)

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最も購入金額が安価であったゲームはARMORED CORE3で中古にて50円だった。裸ディスク、取扱説明書無しのワゴンセール品とは言え異常な安さである。ACシリーズは4からの参戦組で、旧作シリーズ(PS~PS2)時代は殆ど知らない状態からのスタートだった。この作品に関しては、デザインに無駄が無い直球のアクションゲームと言う印象で、ストーリーの通しでは現在のシリーズ作にも劣らない品質である。音楽は特に良く、世界観と十分にマッチをしていた。個人的な意見であるが、同作品の対戦文化は好きになれない。バランスが悪い以前に、あまり上手に動かせないので、シングルでお気楽勢というわけだ。今まで色々とゲームをプレイして来てもシングルとマルチが両立できているゲームに出会ったことが無い。大体の場合でマルチプレイがシングル以下だ。そりゃあ、そうだ。最高のプレイは自分自身が一番に活躍出来てこそ。クリアを目指す事と勝つことは異なる次元であると考えるべきで、この塩梅がレビューの”品質”を決定するようにも見える。私はクリアを目指すタイプのゲーマーなので、AC3は高評価で終わることが出来る。しかし、勝つことを主軸にすると、イライラしてしまうだろうし、途中で投げる。また、そのゲームに対して長い時間を費やさねばならなくなる。そういったレビュアーは、ゲーム細部まで知っているので情報としては信頼できる。そして愛が深くなっていく。愛があるレビューは時に異常すぎる服従を求める。恋は盲目と言うが、正にソレが意見として滲み出た時、50円は5,000,000円を超えた離婚費用となる可能性があるのだ。愛なき10時間程度で見た感想が、意外に本質をついている事例は山ほどある。そのタイトルに愛があったとしても、その意見が本質的かどうかは全くの別問題。これはゲームに限った事ではないが。

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物置からたまごっちが出てきた。
96~98年にかけて社会現象を起こしたほどの大ヒット商品であるが、その後は話を聞かなって久しい。知らない方に説明をすると、たまごっちはデジタルペットのハシリであり、小型ゲーム機も珍しい時代に発売をされたキーチェーンゲームである。ただし、結構面倒くさいゲームで、小まめに世話をしないと直ぐに死んでしまう。しかし、こういった商品は周期的にヒットをしているような気がするのだが、たまごっち並みに社会現象になったモノは他にあったのだろうか。育成ではポケモンも考えられるが、デジモンは・・・そういえばデジモンはどうなっているんだ?ああ、そういえば妖怪ウォッチ は相当に影響力があった。思うに、社会現象を引き起こすクラスのゲームは、ゲーム性よりも玩具性を優先した商品の方が記憶に残っている。たまごっちや妖怪ウォッチも玩具と言った方が正確だろう。ゲームブログを興している身としては、PCゲーム以外の事は"この場以外で"発言することは少ないのだが、案外に玩具性の高いゲームタイトルはゲームネタをしては可能性を感じる。とは言え、発掘された個体は電池切れなので処分することにした。思い出は大切に、そしてゴミはきちんと分別をする。

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Michael Jackson's Moonwalkerは社会現象にはならなかったし、クセのある仕様にアーケードゲームらしい高難易度で大ヒットはしなかった。しかし、その衝撃的なゲーム性故に一部のゲーマーが支持するほどマイケル愛に溢れている。多数の敵が画面中に沸いて大ピンチでもポオオォォォ!!と叫びポーズを決め、マイケルと画面全ての敵が一斉にダンスを踊りはじめる。マジで意味が解らない。なぜ戦闘中に敵と協力をしてダンスをかますのか。しかもアニメーションのクオリティが尋常ではない程気合が入っている。そしてBGMが止まった瞬間に敵は爆破される。マジでシュール。歩くだけでも一発で理解できるマイケル。腕に力を貯めていてもマイケル。叫ぶマイコー、ロボットに変身しレーザーで敵をぶっ殺しまくるマイコー、子供助けるマイコー。勿論、ゲーム内の音楽もマイケルずくしだ。残念なことに、AC版は移植が為されておらず、現状だとプレイをすることは難しい。実は私自身も2,3回ほどしかプレイをした経験しかなく、かなりのうろ覚え。だが、ダンスで敵を爆破するマイコーだけは強烈に覚えている。もし貴方が本作を見かけたのなら、それは実に幸運な出来事である。このようなゲームは後年になっても発売はされることは無かったしダンスで敵を倒せるスターは世界でたった一人しかない。よって筐体にコインを入れて貴方も踊るのだ。

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社会問題になったゲームの話をして締めたい。
この手の話題で何を主題にするかは決まってGrand Theft Auto IIIが挙げられる。本作はPS2版が最初に発売をされ、後にPC移植がなされた経緯があり、国内で話題になっても直ぐにプレイをすることが難しいタイトルの1つだったのである。フレッツADSLがサービス開始した時代、海外ゲームの情報は不正確だ。米国で大ヒットしていたGTAⅢをプレイするには北米版のPS2本体が必要であり、これも混乱に繋がった。日本版PS2でも改造をすればプレイできるだの、GTAⅢは絶対に日本では発売されないだの、初期のカオスすぎるインターネットの闇に審議と真偽が渦巻いて収拾がつかなくなっていた。一部の熱狂的な連中は北米PS2を個人輸入してプレイする始末。何処もかしこも噂をしている。ゲームオーバーの概念が無い?凄まじい箱庭?(何が凄まじいのかを説明できる人が居ないというのもカオスである)ああ、プレイをしたい!!もういっそのこと私も北米PS2本体を・・・と真剣に考えていた矢先にPC版が発売をされた。やったぜ!!・・・何処にも売ってねぇ、クソが!!売れ切れ入荷待ち、そして引き続き加速する混乱。そうこうしていたらカプコンが日本語化してPS2で売るとか言い始める。やったぜ!!・・・やっぱり売り切れてるじゃねぇか、クソ野郎!!しかし、ようやく入手した日本語版は、今では考えられない完全無修正である。一斉に加速する正確過ぎる情報量。チートコマンドやら攻略サイトが沸き、皆が皆、GTAⅢを語る。そして本国と同様に国内でも、その暴力性から問題となった。GTAⅢは現実社会から初めて激しい攻撃を受けたタイトルでもあった。国会議員が真剣にゲームの暴力性を語り、そこに道徳を語る連中が表現規制を訴える。ゲームプレイしない人たちが流行に乗り遅れまいと議論の場に出てくる様はカオスチートを入れたリバティシティそのもの。秩序と公平性がまるで無く、誰も正しく見れていない。ただ、ただ混乱の中を混乱している連中が歩いていた。
散々と意味のない議論とイミテーションと化した報道の末に汚名の数々を着させられたGTAⅢであったが、この作品を否定するPCゲーマーはいない。故に説明が出来ない時代に現れた、議論と罵倒の渦巻いた・・・説明不要のモンスター。それがGTAⅢの思い出である。

コラム:e-sportsはオリンピックにするべきではない

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コンピュータゲームはオリンピックの新種目になるのか?最近になって、この手の話題を聞くようになったので、私としても意見したく本記事を書き上げた。
これを読んでいる読者の殆どがゲーム好きであることを考えれば、非常に自分の意見を申し上げにくいが、私はe-sportsはオリンピックにするべきではないと考えている。まず、皆さんと最初に確認をしておきたいのはe-sportsの定義である。一般社団法人 日本eスポーツ協会(JeSPA)の記述には、e-sportsの定義が書かれているので参照をすると、
『eスポーツ(e-sports)」とは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉える際の名称。』とある。日本では、あまり知られていない業界であるが、アメリカではe-sportsは高い認知度があり、その歴史は古い。よく話題に挙がるのが、対戦FPS『Quake3Arena』の大会で、それ以降もCounterStrike1.6などのチーム対戦型FPSでは大規模な大会が開催されていた。近年、エレクトロニック・スポーツの中で存在感があるタイトルは『League of Legends』と呼ばれるタイトルで、これもチーム対戦型のタイトルになる。このタイトルはアメリカだけではなく、世界的に非常に認知度の高いゲームで、League of Legends World Championshipなどの規模の大きな大会は珍しい事ではない。よって、競技人口の問題は、このタイトルに関して言えばさほど問題にはならない。少なくとも"今は"

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CoHも流行っていた時期があったんだけどなぁ

日本国内、あるいは世界的な盛り上がりは確かにあるe-sportsであるが、論理的に考えると問題が非常に多い。私が唯一、人並み以上に出来る競技は卓球なので、卓球と比べて考えてみたい。まず、卓球には所有者がいない。これが今回の一番のテーマになる。大概の競技は誰の所有物でもなく、そして公の存在となった概念である。よって、卓球をするにあたり、プレー代金を支払うのは、世界各国のプレーする場所によって異なる。(日本で卓球をするのにギリシャの卓球協会に代金を支払う必要性は無いだろう)これは、どの競技でも当たり前すぎて考えない程、普遍的な概念となっている。ところが、e-sportsで競う合う競技には、必ず開発者が介在し、そして知的所有権が発生している点で特異である。この時、極めて重要なのは誰がルールを決定しているのか、という一点に尽きる。卓球の場合、何度か使用球に変更があり、かつ1セットにおける点数に大きな変更が加えられた歴史があった。しかし、大前提として『競技における1点の定義』が変更になった事は無いし、未来永劫的に変わらないという予測がある。これは卓球が特定の人物や団体の所有物でもないことの証でもある。捻くれた言い回しをすれば、サッカーや野球などを取り仕切る団体が、その一試合を私物化する事はあっても、そのルールそのものを買い取ることは不可能なのである。サッカーでハトが飛んだらブラジルは失点する、野球でコーラを飲む客の数が多ければヤンキースが満塁になる、等のルール変更は競技ルールを買い取らなければ出来ないが、正確には所有者が存在しないので永久に出来ないだけである。馬鹿げた理論であるが、e-sportsにはその保証がない。"ばりー選手の名前がステキなので優勝!!”私が競技タイトルの権利者であれば、(道徳を無視すれば)可能でしょ?道徳的にやらない人が大半だろうが、この世は悪人の方が賢い。やろうと思えば、金は掛かるが可能なのである。

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斑鳩のハイスコア対決は、見ている人には意味が解らないだろう。

一企業が開発をした所有物を、オリンピック競技に出して良いものなのか?
次に考えるべきは公平性、しかも永久的に保たれている事が保証されなければならない。そのため、大半のオリンピック競技には審判がいる。ルールが購入出来ない以上、審判も競技を捻じ曲げることは出来ない。この時、審判が買収された、或いはミスジャッジ等は別の意味を持ってしまうために考えない。スポーツ競技におけるフェアとは、誰の目から見ても中立的な判定が下されなければならない。ところが、e-sportsには永久的に公正さが保たれる保証はない。なぜなら、Riot Gamesが倒産をしたらLeague of Legendsは中立性が別の権利者に移る可能性があるから。バトミントンは永久か?Yes、君たちは概念として永久の保証がある。テニス、水泳、100m短距離走・・・どれも永久的不滅な概念に近い。例えスポーツ用品大手のナイキが倒産したとしても、バスケットボールの公正さは失われない。その権利が別の会社に移行することもまずない。バスケットボールには倒産が無いから - 開発者がいないから権利の移行もあり得ない。それらは所有権がある個人や団体、企業に属していないので今後も保たれるであろうとの予想の上で成り立っている。

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競技そのものの本質が変更できない、という半永久的な確約が必要である。

IOCは利権主義に走り過ぎている。
単純に『この競技の世界一はコイツだ!!』の祭典を、ゲーム人気を利用し儲けることを画策しているようにしか見えない。League of Legendsをオリンピック競技に推すのは、単純にプレイ人口が多いからだ。だとすれば、マインスイーパーもオリンピック競技にするべきである。こういう論理は屁理屈ではなく、十分に通用してしまうのが哀しい業界である。よって、仮にLoLが稼げない競技に成り下がったら、IOCは直ぐに切り捨てるはすである。そうなると、逆に困るのがe-sportsの関係者だ。何のために開催しているのかの目的が不明瞭になった時、これまでの道筋は消える。だって金儲けのために利用された所有物なのだから、それを手放したり売ったりすることは企業としては真っ当な商売である。
ハッキリ言うと、ゲームの大会は、ゲーム関係者だけで運用した方が絶対に良い。オリンピックの正式科目に選ばれたら、確実にゲーム関係者以外の利権が入り込み、その所有物は確実に書き換えられる。より一層の金儲けがしやすくするために。ここまで腐敗した時に、恐らくゲームコンテンツは立ち直れない。何故ならここまで面倒を見る正義の所有者が居たとしても、不死ではないから。ある競技に所有者が居るという事は、ここまで問題を複雑にするのである。

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オリンピック・マフィアと化した萃香さん

私の意見を明確にしておきたい。
①公正な競技は、そのもの自体に所有者はいない。
②故にルールを変更する際、所有者の都合を聞く必要性はない。
③これにより、その競技は永久不滅に存続をするであろうとの予想が出来、世界中のどの時代でも不変となる。

私はゲームイベントやe-sports、ましてLoLに反対をしているわけでは無い。
ただ、オリンピック競技にするには、①~③が無いために、長くは存続できないだろうと考えているだけだ。そもそもゲームタイトルは流行の波が激しすぎて予測が成り立たない部分がある。よって競技種目は長続きしないだろう。PCゲーマーから言わせれば、1タイトル5年も継続すれば超大ヒット作品である。競技人口を5年間も安定して保持できるタイトルは片指で数えられるくらいに少なく、年度ごとの競技タイトル選考は利権が絡むだろう。そうなると競技タイトルが中継されても視聴する人間は増えていくとは限らない。全てのゲーマーが流行を追えるとは思えない。内輪の祭典化した時に、その競技を視聴してくれるファンはいるのか。スポーツと視聴は切っても切れない関係だ。そういった部分で、私はゲームは古典的スポーツに対しとても不利だと思う。これは分野が異なることから発生する要素だが、スポーツと一括りにする以上、避けてはいけない問題であることをハッキリさせておかねばならない。
よってゲームの世界一は、ゲームの業界で、ゲーム関係者が、ゲーム好きのために、そしてゲームを盛り上げるために開催すれば目的は達成されている。
そこにオリンピックを持ち出す意義が理解できない。


FAST BEAT LOOP RACER GT 初回プレイ感想

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どう見ても湾岸ミッドナイト M〇XIMUM T〇NEです。
湾岸風だとか、そんなレベルでは語れない台湾製レースゲームであるが、元は2011年ごろに同国で稼働したアーケードゲームをPCに移植したブツなのである。移植の完成度は台湾人でないと解らないが、明らかにPCに最適化されていない箇所が目立ち、マジで"アーケードそのまま"としか思えない点もある。ある意味、ステキ過ぎる仕様だが、コントローラーのセッティングに難あり。得体が知れないのでATドライバーとして大阪の公道をぶっ飛ばす。

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ゲームシステムは、ローリングスタートでの公道レース。よって一般車も走行をしており、通称アザーカー飛ばしなる外道テクニックも問題なく横行可能。本家・湾岸にあったブースト機能は撤廃されており、代わりにスリップストリーム推しである。しかもライバル車のみならず一般車に対してもスリップストリームが可能で、基本的にコレを活用していくようだ。またストーリーモードをプレイすると、勝敗に関わらずチューンナップポイントを取得できるため、直ぐに愛車が改造できるのも良い点だろう。性能面での改造は、ポイント割り振りなので自由度があるが、外装部分の改造が一方的に着けられていく上に、撤去不能という謎仕様。雑なのか豪快なのか・・・

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レースゲームとしては、ほぼ合格。
しかし、アーケードレースゲームのPC移植が殆どない昨今、台湾Tuneはかなり貴重なタイトルとなっている。車の挙動もアーケードであり、簡単にドリフトが出来るし、スピード感もそこそこある。レース中に入るセリフは、読んでいる余裕が無いのでストーリーは良く解らない。公道レースをしているヤベェ奴らが日本から飛び出して、上海に突撃したところまでプレイしたが、色々と気にしない方が宜しいかもしれない。この部分は本家の方が、漫画とゲームを上手にミックス出来ていたが、本作は原作が無い?と思われるので仕方がないか。

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直球過ぎるレースゲーム。難しい事は考えなくてもぶっ飛びOKスタイルなので、ストレス発散ゲームとしても優秀。アーケードゲームではあるが、今のところは極端に難しいステージには当たっていない。ちなみに初回プレイ時には、一部が日本語化されていたのだが、現在では日本語部分は消されてしまったようだ。この記事も発売初日のSSを使用しているので、セリフ周りは日本語であるが、本日プレイをしたらすべて英語表記になっていた。何か問題があったのだろうか?
兎も角、伸びしろを感じるゲームなので、一周したら再び報告をしたい。

Gorogoa ショートレビュー

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例えば - 2つの部屋があって、片方は高温、もう片方は低温であったとしよう。
2つの部屋は1つのドアで通じており、それを開けると2部屋の室温は共通の中間温度に達する。(十分に時間をかけてね)これは至って常識のように見えるが、熱力学的に宣言をすると『そうなる確率が圧倒的に高い』だけである。もしかしたら、高温の部屋はさらに高温状態になるかもしれない。"そのような状態に達することを"物理学は決して禁止していない。しかしだ、そのようなシーンは、この宇宙が誕生してから崩壊をするまで観測をし続けたとしても1回も起きない可能性に賭けた方が賢い。そして恐らく今日までに一回も起きていないと思うよ。だから我々は、この宇宙全体で起こりうる既知の物理法則に十分な信頼をおけるわけだ。

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Gorogoaが教えてくれるのは、世界の見方そのものである。
どうやらGorogoaの世界は我々の知っている世界とは、かなり異なった法則が蠢いており、1世界を4ピースに切り分けて、そして各ピースは独立した世界を持っているものの、4つが合わせって1つになっているらしい。このゲームは大変に奇妙なゲームプレイを提供しているために、これまで掲載してきた全ゲームタイトル中、最もレビューが困難だった。そもそも、プレイヤーは最後の最後まで、このゲーム中に登場をする各時間軸やキャラクター、そして要所に登場をするドラゴンの説明は一切にされない。だから、このゲームに関しては、物語から背景に至るまで全てレビュアーの妄想になる。このレビュー自体も大した価値は無く、実際に触れてみて貴方が感想を書くしかない。投げやりで申し訳ないが、ここから先はクリアをした読者に向けた発言になる。

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各ピースを繋ぎ合わせて、この世界から脱出をするパズルゲームだが、私はこう考えた。
まず各パートごとの素晴らしいアートに関してだが、何処か宗教的な儀礼のようなものを感じる。特に少年が行く先々で集める珠は、ドラゴンを召喚する儀式なのかもしれない。ドラゴンを追う少年は、明らかに別世界に介入して行動を開始する。1つの世界が、4つに分かれ、そこで少年は別の人間を手助け?していく。もしかすると、時代や場所が違うだけで同一人物なのかもしれない。あるピースでは年を取った元少年、自殺を考える世界の少年・・・がそれぞれ重要な珠を持ち、ある一人の少年が何かしらの意味で集める事となった。その過程は、もはやゲームプレイとは呼べず、絵画鑑賞会のようである。明らかにゲーム性よりも芸術性を優先させたデザインであり、次から次へと摩訶不思議な仕掛けを解いていき、少年は右のピースから左のピースへ、或いは下から上へと世界を移動する。

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大変に批判が難しい作品である。
基本的に、ゲーム批評は対象となる作品と"それに類似した作品"を比べることで、我々は理解をすることが多い。例えば、リアル系FPSが新発売をしたらRed Orchestraを思い浮かべて、或いはスポーツ系ならUnreal系と比較をすれば解りやすい。しかし、Gorogoaは前例が無い。少なくても私は類似した作品を一切に知らない。そのため、余程の悪態を出さない限り、本作は極めて高い評価を与えるレビュアーの意見は率直に正しい。何かと比べられないのだから、この作品は評価基準となり、そして同分野の頂点になった。こういった作品のレビューは、殆どの場合でThe Stanley Parableのレビュー記事のように歯切れが悪くなる。例え、気に入らないデザインであったとしても、本作品のアートは奇妙な彩に支配され、起こりそうもない出来事が発生をし、それを分離したり繋げることで我々を困惑させる。全く、レビュアー泣かせのゲームにも程がある。

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パズル部分は、幾つかのシーンで退屈であるが、兎にも角にもアートで圧倒させてくれる。生きた絵本は、プレイヤーが難所に当たって動けなくなったとしてもヒント1つ与えてくれない。文字は一切に表記されず、絵だけで判断をしていくしかない。そういう意味では、ゲームの進行としては理不尽かもしれない。実際、あまりにも奇想天外すぎる世界なので、先が予測できない事もある。そうなると、クリックできる世界を片っ端から調べる総当たりのパワープレイになってしまう。だが、それすらもアートで圧殺するほど、実に魅力的なのだ。これだけ説明をしても未プレイの読者は全く意味不明だと思う。予測のできない出来事って何だよ?そう、それを説明するのが真に優れた著者なのだ。是非とも君が書いてくれよ。

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ゲームとしてみると、"プレイ"に加点できるのは80点ぐらいが限界である。
芸術作品として考えると、”鑑賞"に99点を与えることが出来る。
2つの評価があって - それを繋いだ時 - 合計値は幾つになるのだろうか - 平均値を考えるかい?93.5?これを創作した労力、アイデア、そして魂の入ったアートの数々。もはやゲームとして見れないゲームが登場をした。Gorogoaは近年に稀に見る傑作インディーゲームとして名を刻むだろう。
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ばりー

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